2019年4月2日、ある映画の前売り券が、インターネットを壊しました。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』の前売り開始日。全米最大の映画館チェーンAMCのサイトとアプリは、通常の約10倍のアクセスを浴びてダウンしました。アメリカのチケットサイトFandango(ファンダンゴ)では、それまで歴代1位だった『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の初日前売り記録が、わずか6時間で更新されました。
スーパーヒーローが映画館の王様だった時代の風景です。
それから7年後の2026年6月。『スーパーガール』が、全米オープニング3,710万ドル(約59.4億円)で沈みました。製作費1.7億ドル(約272億円)に、宣伝費が約1.2億ドル(約192億円)かかった作品です。大作としては、小さすぎる興行収入です。
「スーパーヒーロー疲れ」。
英語圏の映画メディアでこの言葉が定番になって、もう数年になります。でも、わたしはこの「疲れた」という説明に、ずっと引っかかっていることがあるんです。
同じ「疲れた」はずの数年のあいだに、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は世界興収19億ドル(約3,040億円)を稼ぎました。劇場に人が戻りきっていないコロナ禍の2021年に、です。
そして今月末に公開される『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』の予告編は、公開24時間で7億1,860万回再生。映画の予告編として、史上最多です。
飽きられたはずのジャンルの真ん中で、スパイダーマンだけが、死んでいません。
なぜ、スパイダーマンだけが死ななかったのか。
「ヒーロー疲れ」は、たしかに数字に出ている
先に、通説の側をちゃんと見ます。
統計分析メディアStat SignificantのDaniel Parris(ダニエル・パリス)氏の集計によれば、2015年から2020年頭にかけて、スーパーヒーロー映画は1本あたり平均でおよそ10億ドル(約1,600億円)を世界興行で稼いでいました。1本あたり、です。それがパンデミック以降、崖のように落ちました。
理由としてよく挙がるのは、コロナで劇場の習慣が壊れたこと。Disney+でシリーズを量産しすぎて、ありがたみが薄れたこと。そして単純に、観客が飽きたこと。
実際にスーパーヒーロー映画の年間公開数をまとめたグラフがこちらで、かつて年1本のお祭りだったものが、今や年9本ぐらい公開される、毎月何かしら上映されているものになってしまった。
また、コロナ後に映画化されたスーパーヒーローで稼いだ作品はほとんどなく、2020年以降に生まれた全ヒーローを足し上げても、スーパーマン1人に負けてしまいます。
本数が多いと追いきれないし、Disney+のドラマシリーズまで全部追いかけるのはそこまでじゃない。という気持ちは、わかります。わたしも実際全部は見切れないと感じてます。
ただ、「観客が飽きた」で全部を説明すると、冒頭の数字と衝突するんです。飽きたはずの観客が、スパイダーマンの予告編だけは1日で7億回観ています。疲れたはずの財布が、19億ドルぶんだけ開いています。
観客はジャンルに飽きたのか。それとも、別の何かが起きているのか。
死んだのは、ジャンルではなかった
パンデミック後のスーパーヒーロー映画を、ぜんぶ一山にせず、2つに割ってみます。「昔からいるヒーロー」と「新しく立ち上げたヒーロー」です。
上の図を見るとわかるのは、「ヒーロー映画の失速」がじつは一様ではないことです。昔からいるヒーローは、今も数千億円を稼いでいます。沈んでいるのは、新しく立ち上げたヒーローだけなんです。2024年に立ち上げた『クレイヴン・ザ・ハンター』にいたっては、世界0.6億ドル(約96億円)でした。
Stat Significant(カルチャー系メディア)はこの現象を「持ち越した資産はまだ機能するが、新しい神話は機能していない」と表現しています。わたしの言葉で言い直すと、こうなります。
死んだのはジャンルではなく、「新しいヒーローのローンチ」だけ。
そしてこの切り分けができた瞬間、「観客が飽きた」という説明は使えなくなります。飽きたなら、古株から順に捨てられるはずじゃないですか。実際に起きているのは逆で、古株ほど強く、新顔ほど弱いんです。
これは「飽き」の形ではありません。別の構造の形です。
IPは感情の貯金である
ここで、ことばをひとつ定義させてください。
わたしはIPを「感情の蓄積装置」だと考えています。名前を聞いただけで感情が動くもの。そして大事なのは、その感情が一夜では作れない、ということです。読んだ時間、観た時間、誰かと語った時間。接触のぶんだけ少しずつ積み立てられていく、貯金のようなものです。
この見方に立つと、映画の見え方が一段変わります。
大作映画のヒットは「引き出し」で、日々の接触が「入金」です。
スパイダーマンで実演してみます。初登場は1962年のコミック。以来60年以上、コミックで、テレビアニメで、ゲームで、おもちゃ売り場で、入金され続けてきました。親から子へ、その子からまた次の子へ。三世代ぶんの残高です。
だから『ノー・ウェイ・ホーム』は、コロナ禍という最悪の営業環境でも19億ドルを引き出せました。歴代スパイダーマン3人が並んだあの映画は、作品として面白いのと同時に、60年分の残高に対する、史上最大級の引き出しだったんです。
一方の『エターナルズ』はどうか。原作コミックの知名度は、米国でも高くありません。つまり、残高がほとんどない状態で、製作費2億ドル(約320億円)級の引き出しをかけました。作品の質の問題である前に、算数の問題だったと思うんです。残高がないところからは、引き出せません。
『ザ・フラッシュ』も『マダム・ウェブ』も『スーパーガール』も、細かい事情はそれぞれ違います。でも共通しているのは、「単独の大作を支えるだけの感情の貯金が、まだその名前に積まれていなかった」ことでした。
入金のほうが、止まっていた
では、なぜ新しいヒーローには残高がないのか。ここが、この記事でいちばん見てほしい数字です。アメリカのヒーローたちの入金(マネタイズ)装置は、コミックでした。そのコミックの現在地を見ます。
1991年、『X-MEN』第1号は小売店からの発注が810万部に達しました。単号としてギネス記録、いまも破られていません(実際に読者の手に渡ったのは約300万部という推定もあります)。2026年のいま、全米でいちばん売れている月刊コミックは『アブソルート・バットマン』で、月30万部台です。
図から分かる通り、この落差がそのまま「新しいヒーローが生まれない理由」です。誤解のないように言うと、『アブソルート・バットマン』は近年まれに見る大ヒットで、DCのこの新路線は初年度で約800万部を積む健闘を見せています。作り手の腕が落ちたのでは、まったくありません。
1991年に1冊で売った部数を、いまは業界最大のヒット路線が、1年がかりで積む。
それだけ、コミックが「大衆の入金装置」から「熱量の高いファンの聖域」に変わったということです。
念のため付け加えると、米コミック市場の金額そのものは、グラフィックノベルやマンガに支えられて、いまも伸びています。細ったのは金額ではなく、「新しいヒーローの月刊誌を、大衆が毎月買う」という回路のほうなんです。
つまりマーベルもDCも、映画で引き出す一方で、源泉への入金が細り続けていました。新しいキャラクターに感情を積んでくれる大衆の窓口が、もうコミックにはなかったんです。
それなのに、引き出しのペースは逆に上がりました。2021年、マーベルは劇場映画4本に加えて、Disney+でシリーズを5本投入しています。入金が細った貯金に、かつてないペースの引き出しをかけたわけです。残高の厚いスパイダーマンは耐え、残高の薄い新キャラクターから順に、底をつきました。
エンタメ事業を統括していたころ、億円規模の新しいIPの立ち上げ案件が、担当者の異動ひとつで白紙に戻るのを見たことがあります。企画が悪かったわけではありません。新しいキャラクターへの入金は10年単位の仕事なのに、会議室の人事は2〜3年で回ります。積み立ての時間と、意思決定の時間が、最初から噛み合っていないんです。だから現場は、すでに残高のあるもの、つまり続編と既存IPに手を伸ばします。責められません。あの部屋の時間の流れでは、それがいちばん合理的なんですよね。
ここまで、スパイダーマンを使って「残高診断」を実演してきました。やることは、マネタイズの歴史と、引き出しの規模・ペースを見比べる、それだけです。この物差しがあれば、次にリブートや実写化や「ユニバース構想」のニュースが流れたとき、その企画の足元にある残高を、自分で診断できるようになります。
そしてこの物差しは、ハリウッドの現在地そのものを言い当てます。
ハリウッドは、物語を買っているのではありません。残高を買っています。
では、コミックからの引き出しが細ったいま、ハリウッドはどこからお金を引き出しているのか。2026年の世界興行収入トップ10を、この物差しで並べ直すと、答えは驚くほどきれいに出ます。いま世界でいちばん厚い残高。トップ10の頂点にいる、その持ち主は、


















